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2015-04-16

食肉の宿命

この物語は私がプロボクサーを引退し職を転々としていた頃のエピーソードである。

その日は入社して間もない「英会話スクール」の広報部として通勤の途中だった。

『英会話スクールの・・・』などと謳えば随分と聞こえの良い職業に思えるだろう。

何のことはない。講師は当然の如く「英語圏のネイティブ・スピーカー」であり、

我々「広報部」の仕事は千葉市中央区にあるスクールから毎日営業に出掛け、

首都圏近郊部辺りまでの複数の書店で入会者を勧誘し続けるというものだ。



「社員は週1回の英会話レッスンが無料」という広告に魅力を感じた私だが、

2ヶ月程前までは「人を殴り倒す練習」をしていた目尻に傷のある男が、

営業職などに向いているはずもなく1ヶ月半後には退職することになるのだが。

その会社で働き始めた当初、先輩の女性社員を乗せた車の中での出来事である。



通常であれば電車通勤だがその日は「新入社員歓迎会」があり、

通勤途中に実家があると聞いていた先輩を迎えに行く約束を交わし、

当日は私が運転する車で中央区にある職場まで2人で向かっていた道中、

信号待ちで停車した車の前方には「冷凍食品を運搬中のトラック」が。



私達2人の目に留まったのはそのトラックの後方部にある「1枚のイラスト」である。

可愛らしく描かれた「ニワトリ・豚・牛」の3者が笑顔で手を繋いでいるイラストだ。

その上部には「グリーンファームから食卓へ」というキャッチフレーズが書かれており、

ELTの持田香織似で「天然キャラ」として職場でも人気のあった先輩がまず一言。



『稲垣君・・グリーンファームから食卓へって、この絵まずくない?』

『お前ら、これから食われるんだぞ・・何ヘラヘラ笑ってんだよ!?』と私も続ける。

すると2~3秒の沈黙から突然吹き出した先輩が「その絵」を見ながら呟いたのである。

『でもさぁ~・・・美味しいから仕方がないよねェ~、うふふふ!』

天然キャラ特有の「不思議な間」で放り込んできたセリフに私も仕方なく答える。

『・・しょうがないと思います。それに、今日も炭火焼肉の店ですよね?』

すると先輩が再び爆笑する『稲垣君~!?超うけるんですけどォ~!!』



ニワトリ君豚君、そして1番大好きな牛君、それが君達「食用の宿命」だ。

後は俺達が「肉を食す喜び」に感謝しつつ美味しく食べてやるから安心しろ。

どうか「その日」が来るまで元気に「丸々と大きく」育ってくれよ。

これは通勤途中に交わされた「ほんの些細な会話」の記述である。



 END

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2015-04-05

堅気じゃない日々 後編

* 前日に記載致しました「実話」の後編となります。



時刻は既に18時を超え東京都内にある「解体工事現場」は闇夜に包まれておりました。

「17時以降の解体工事」が禁止されていたことを受け見張り役に任命された私は、

養生シートに隠れながら照明も付けずに解体工事を強行している仲間のY口と、

『ばれなきゃいい』をモットーとする社長の2名を建物の中に残し1人屋外に立ちます。



『・・もう限界だろう?』私はセブンスターの吸い殻を飲み終えた缶コーヒーに落とし、

スクラップを積んであるダンプの荷台にそれを放り投げると作業場へ戻りました。

中に入ると私の予想通り既にユンボを降りたY口が社長のオペを見守っています。



声を掛けた私にY口は『稲垣さん、もう全然見えないっすよ!』と苦笑い。

それでも1人強行を続ける社長にY口からも私と同じセリフが飛び出します。

『稲垣さん・・社長のあの壊し方、堅気じゃねェよ!』

ヤクザは辞めても「生まれ持った気質」までは変わるはずもなく、

その後3ヶ月間も「無給」で働き続けた我ら従業員3人組も十分普通ではありませんが。



当時は貯金もせずに遊んでいた為3ヵ月後には家賃も払えなくなり

社長には何度も電話を掛けて催促しましたが『元受が入金してくれねェんだ』と、

とうとう最後まで逃げ続けられ裏切られた気持ちから彼を心底恨んだ時期もありました。

しかし、この経験があったからこそ「働けば給料が貰えるという常識は大間違い」であり、

「お金を稼ぐこと」と「仕事をすること」がイコールではないことに気づかされました。



この時、プロボクサーを引退してから既に5年の歳月が経過しておりました。

荒れた生活を続けてきた私が事実上「堅気に戻る」きっかけとなった訳です。

前編の記事にもあります通り解体工事で出たスクラップの搬入先でもあった、

「鉄・金属等のリサイクルセンター」に縁あって正規雇用して頂けたという経緯です。



既に「自分の頭を使わなければ永久に金は稼げない」と理解はしていた私ですが、

「元手が無ければ何も始められない」という自らが置かれた現実を素直に受け入れ、

「資本金」を捻出する為に毎月コツコツと貯金に励みボーナスには一切手を付けず、

やがて脳機能学の勉強や株式投資の世界へと足を踏み入れて行くことになる訳です。



現在の私に上記した「解体屋の社長」に対する恨みなどは一切なく感謝している程です。

思い起こせば「社長が語った数々の名言集」は後に学ぶ脳機能学的にも根拠があり

『オイがやったらこんなの訳ねェよ、すぐだ!』という「解体屋としての自信」や、

『社長、危ないからもう止めたほうがいいんじゃないですか?』と言ったY口に対し、

『兄ィア!ヤル気ねえから出来ねんだっぺや!?』作業を完遂する精神力など、

伊達に「極道の世界」に居た訳ではない社長から学んだことも数多くありました。



最後になりますが上記した「東京都内での解体工事」の強行作業ですが、

強気なY口が社長を静止する程「真っ暗闇での解体」はその後も困難を極め、

住民に気づかれないままで作業を続けるには既に「限界の時刻」でもありました。

しかし、何時終わるとも判らない社長の暴走を止めたのは彼自身が発した一言です。

『・・・かあーっ!?兄ィア~、配管割っちまったェーっ!!』



社長・・だからY口は止めたんじゃないんですか?

私達3人は「堅気に戻る日」が近いことを当時はまだ知る由も無く、

翌日も元気に「産業廃棄物」の運搬に出るという懐かしくも感慨深い日々でした。



2日間に渡りお付き合い頂きありがとうございました。



 END

   
2015-04-04

堅気じゃない日々 前編

本日の記事は「今から11年前の実話」を記述するものです。

この時期は私が古巣であるボクシングジムにトレーナーとして正式復帰を果たす、

およそ半年程前に働いていた「解体屋」で起きたほんの小さな夜の出来事です。



「堅気に戻る」と言えばヤクザ者のような不良が足を洗いマジメに働くというのが、

一般的なイメージだと思いますが「私が働いていた解体屋の社長」もまさにそれで、

組を抜けた後にトラックの運送会社を興したのが会社を立ち上げるきっかけだったとか。

最後は「3ヶ月連続で賃金の未払い」を喰らい仲間と共に会社を辞めたエピソードは、

何度か記事に書いた通りですが本日は最後に賃金を頂いた現場での出来事です。



その日も年末が押し迫る中「東京都内にある解体工事現場」へと向かうべく、

私を含めた従業員3名早朝の5時に地元を出発し夜遅くに帰宅するという、

過酷かつ多忙な日々を送っていた訳ですが現場の引渡し期日も近づいており、

『今日で何とか大まかなメドを付けんぞ!』と社長から言われていた訳です。



3人の中で1番年上だったのは私でしたが「解体屋の仕事」を始めたのは、

年下である2人のほうが先輩でしたから当時はまだ補助的な役割が多く、

元大型ドライバーのY口君がリーダーとして解体現場の重機を操作し、

ボクシングジムの後輩でもあったY橋深箱の4tトラックを運転するという、

役割分担は完全に出来上がっており非常に良いチームワークだったと言えます。



その日も解体した小さなビルの鉄骨「地元にあるスクラップ屋」へと運搬し、

当時はまだ「現役のプロボクサー」でもあったY橋が直帰で先に上がるという、

彼が練習に間に合うような配慮もなされており私達3人は強い絆で結ばれていた訳です。

まさかその8ヶ月後上記したスクラップ屋(鉄・金属のリサイクルセンター)に、

私が就職し「8年もの長期」に渡ってお世話になろうとは夢にも思いませんでした

「人と人との縁」というものは本当にどこで繋がっているか分からないものです。



そして仕事終わりの夕方5時に差し掛かろうとしていた頃に社長が現場に到着し、

『おうっ、こんじゃあ間に合わねェど!兄ィヤ達は残業できっか?』と言われ、

毎度お馴染みとなっていた「掟破りの裏家業」を始める準備を整えることに。

何故「掟破り」なのかと言えば「午後5時以降の解体工事は禁止」とされる、

「東京都内の条例」にあるのかは存じませんが近所の住民にすぐ通報され、

警察が注意をしに来るということでしたから強行はできなかった訳です。



私にも「守秘義務」がありますから「絶対に書けないこと」はいくつもあります。

それでも『バレなきゃいい』というのが社長の信条ですから従う他ありませんww

この日も解体現場が「養生シート」で完全に覆われているのをいいことに、

現場の照明を消したまま「ユンボのライトのみでこっそり解体を続ける」という、

犯罪とまでは行きませんが前代未聞の「条例違反」がこの夜も始まった訳ですw



従業員の中で1番重機のオペレーションが上手かったのはY口でしたが、

そのY口に『社長がやると俺の1.5倍速いんですよ!』と言わしめる社長の2人が、

それぞれのユンボのライトのみを頼りに暗がりの中で解体作業を繰り返します。

・・え?「私の役目」ですか?

解体現場の表に立ち「警察が着たらすぐに知らせる」という見張り役ですよww

『・・・これ、絶対に堅気(かたぎ)の仕事じゃねェよな?』

私の「仕事に対する考え方」が根底からひっくり返された瞬間でした。



* 後編に続きます



 END

   
2015-03-10

日刊・右の肘 第一章

今朝方、右の肘から小指にかけて若干の痺れあり。

現在症状は和らぐも肩甲骨に鈍痛を覚える。

肘からなのか?肩甲骨からなのか?

痺れの根源を追求する日々は続く。



右肘:『おいっ!左肘・・お前はいいよなぁ?絶好調でよ・・・』

左肘:『お前の肘の使い方が悪いんだよォ!右肘ィ・・・』

・・・お前達が言い争ったところで俺の痛みが消える訳ではない。



それでも「坐骨神経痛」による右足の痺れから2年前に解放された俺だ。

今回も必ずや乗り越えてみせると強く心に誓おう。

これは「右肘の痺れが消える日」まで断続的に更新されていく記述である。



「日刊・右の肘 第一章 ~完~」

* この物語はノンフィクションである。



 END

   
2014-05-09

Y's 小説 『チャーハン野郎』

『うちの店でチャーハンばっかり食ってた奴が随分と偉くなったもんだな』

10年ぶりにスーツ姿で現れた私に背を向けたまま、店主はそう小さく答えると、

開店前の厨房の隅に立ち、日課である雲龍型(うんりゅうがた)の稽古を始めた。



10年間がむしゃらに働き続け、遂に会社を立ち上げることになった私は、

金が無かった当時、皿洗いを条件に店主からタダ飯を食わせてもらったものだ。

愛想のない無口な男だが料理の腕は一流で、その中でも私の大好物はチャーハンだった。

当時のお礼を言うために店を訪れた私だったが、店主はそれをさえぎるように呟いた。

『食ってけよ・・せっかく来たんだ』



誰もいない店のカウンターで店主が中華鍋を振り始めると、

飯が焼きあがる音と共に食欲を掻き立てる香ばしさが店中に広がり出す。

私達はそれ以上何も話すことはなく、私は静かにチャーハンを味わった。

『うん・・やっぱり美味い』



店を立ち去る際、店主が後ろから声をかけてくれた。

『おい、がんばれよ・・・』




『この、チャーハン野郎っ!!』




照れ屋な店主なりのエールなのだろう。

私は一礼すると、そのまま振り返ることなく店を後にした。

おやっさん・・・また貴方のパラパラなチャーハンを食べに帰ります。




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 完



* 本日の記事を読み『コイツは何を書いているんだ?』と思われた方、

特に意味はございませんので、内容を深く追求されても困ります。

今週もお疲れさまでした。



 END

   
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