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2017-02-19

解凍 2017

私が現在の賃貸物件に越して来てから、今月末で半年が経過致します。

昨年は人生が激変する出来事があり、全ては「私の生き方が招いたこと」と、

年末までは自宅に引き篭り続け、株の売買以外の全ての行動を自重致しました。

そして新年を迎え、先週は春一番が吹き、いよいよ私の心も解凍されてきたようです。



私以外の方に迷惑は掛けられませんから、既に報告してある私の友人などを除き、

本日の記事は文脈だけで察して頂き、プライベートなご質問は一切受けかねますが、

私や私に関わった全ての人達が、各々の新しい人生を歩み始めているとご理解下さい。



私が2012年の12月末で会社を辞めた際、最後の忘年会の席で質問されたのは、

『辞めて何をするんですか?』というものでしたが、私が従業員の前で答えたのは、

『株式投資をしていて自分が将来やりたいことへの資金作りです!』というものでした。

勿論『将来何をやりたいのか?』は私が会社に退職を申し出る以前から明確でしたが、

内に秘めた部分と申しますか、具現化させる段階までは公表したくなかった訳です。



私は将来、自分の飲食店を経営し、そこのオーナーとして借金ゼロでお店を開業し、

その夢を叶える為の手段が「その日に備え株式投資で資産を増やしておくこと」でした。

しかし、私は店内で接客がしたかった訳ではなく、飲食業を営んだこともありませんから、

お店は共同経営者のパートナーに任せ、私は資金繰りを担当する裏方に徹する予定でした。



しかし、上記した夢は露と消え、私が安定収入を得ていた会社を辞めてまで挑み続けてきた、

「ある1つのビジョン」は完全に消滅し、上記した通り現在の住居で私は半年間を1人で過ごし、

朝起きてから就寝するまで、買い物先のレジで受け答えする以外は誰とも会話をすることがなく、

「株の売買→筋トレ→散歩」と、まるで言葉を話せなくなったかのような生活を送っている訳です。



「資産運用」だけで言えば、専業に拘らずとも他に収入を得ながら行ったほうが遥かに効率が良く、

全ては結果論ですし後悔はしておりませんが、現在の私は社会的地位を持たないただの個人投資家。

「専業3年で1億達成」を成し遂げられなかったことは既に吹っ切れましたが自宅に篭ったままの、

現在の生活に『本当に声が出なくなるんじゃないか?』という不安を感じているのは事実であり、

正直に申し上げれば『まだ寒いから嫌だよ!』という気持ちも、ようやく陽気が打ち消してくれ、

「どのような形にせよ」私もいよいよ殻を破り表に出る時が来たのだと日々実感しております。



本日もお疲れさまでした。



 END

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2017-02-12

冬花火 2017







『・・・どうして、こんなに距離感があるんだ?』と思われた方、

これは私の自宅の窓から撮影されたもので携帯モバイルのカメラしかない為、

このようなクオリティとなってしまいましたが周辺が静かですから風情は感じられます。

電線の下で光っているのは自動車学校の夜間照明で、これが無ければ鮮明に撮影出来たかと。



これは私が住む地元駅西口側にある港から毎週土曜日に打ち上げられる花火ですが、

夏の港祭り開催地と同じ場所から、週に1度だけ10分程度ではありますが花火が楽しめ、

自宅から花火が鑑賞できる環境は、20年前に地元駅西口に住んでいた時以来となります。

とは言え、やはり花火は真近の方が迫力もあり「誰にも邪魔をされない」という点以外は、

港まで出向いて友人や家族と楽しむのが「正しい花火の鑑賞の仕方」なのかも知れません。











この画像は「私がまだリア充だった2014年」に開催地である港の居酒屋の、

ビルを所有しているオーナーさんの御好意により屋上で撮影したものです。

右手に焼き鳥、左手に生ビール、頭上には花火、と最高の夏祭りでした。

いつまでも色褪せない、美しく儚い思い出たちよ、さようなら。



本日もお疲れさまでした。



 END

   
2017-02-05

プロデビューから21年







明日2月6日は、私がプロボクサーとしてデビュー戦のリングに上がった日であり、

月日が流れるのは本当に早いもので、あの日から明日で21年目を迎える訳です。

添付させて頂いた画像に写る、赤いトランクスのボクサーが21年前の私ですが、

数年来の読者の方であれば既にご存知の通り、結果は私の「3RKO負け」という、

ほろ苦いプロデビューとなりましたが、私の中では「世紀のミスマッチ」でした。



当時、4月10日オープンだった古巣のジムに移籍組のプロを押しのけ、

ド素人の状態から会員NO.1番として入門した私は若さと勢いだけに任せ、

入門から半年後にはプロテストに合格し、10ヵ月後にはプロデビューと、

「ボクシング経験が半年以上必要」というプロテストの規定がある以上、

日本のプロボクサーの中では最短でプロになった1人であると言えます。



という自慢話も『結局デビュー戦KO負けじゃねェかよ!』と突っ込まれて、

見事に玉砕されてしまう訳ですが、何が「ミスマッチ」だったのかと言えば、

私は「全ボクシング歴が10ヶ月目のオーソドックス(右利き)」なのに対し、

相手は「遅咲きのデビューながらボクシング歴豊富なサウスポー」だった訳です。



ボクシングや他のスポーツでも詳しくない方のために解説をさせて頂きますと、

「全競技人口」の中でもサウスポー(左利き)が占める割合は非常に少なく、

日頃からオーソドックス(右利き)と対戦し慣れているサウスポーに対し、

右利きにとっては所属先に左利きの選手が1人も居ないことも珍しくなく、

アマチュア経験でもない限りデビュー戦の相手がサウスポーというのは、

通常のマッチメイクではあり得ない「タブー」であったと言えます。



それだけ当時のジムには力がなかったということになりますが、

ジムの会長のマッチメイクに対し、チーフトレーナーを務めていた、

私をプロに育ててくれた師匠は『普通デビュー戦にサウスポーなんて、

引き受けるほうがおかしいんだよ!勝たせたくねェのかよっ!?』と、

呆れ返っておりましたが、正月休みも返上で私を指導してくれたことに、

今でも感謝致しておりますし、その後の私のキャリアにも活かされました。











対戦相手だったサウスポーの彼は、3戦3勝(3KO)の戦績で毎年開催されている、

東日本新人王トーナメントのJウェルター級(現在のSライト級)の準決勝まで勝ち進み、

この年の全日本新人王を獲得した選手に判定で敗れ、そのまま引退したとのことです。

訳ありでプロデビューが遅かったことから『新人王が獲れなかったら辞める』という、

壮絶な覚悟で挑んでいたと、後に当時ジムのオーナーだった社長から聞かされました。



この試合から3年後、私も彼と同じ階級で東日本新人王トーナメントの決勝まで勝ち進み、

後に日本・東洋チャンピオンになる相手に敗れ、翌年には引退することになる訳ですが、

この時はまだ知る由も無く、負けた悔しさとパンチで折れた鼻骨と眼底の痛みだけが残り、

勢いだけで突っ走ってきた私のボクシングキャリアの中で「初めての挫折」となりました。

今となっては本当に懐かしく、青臭く、眩しくて煌くような青春の1ページだったと言えます。



本日もお疲れさまでした。



 END

   
2017-01-22

Walk This Way 2017







プロボクサーだった20代、この道を何百回、いや何千回走り抜けたのでしょう。

地元の港に隣接するこの公園は「早朝の合同ロードワーク用コース」として利用され、

最も練習を共にしたのが、現在は「闘魂らぁめん」の店主を務める先輩であり当時は他に、

会長が移籍前のジムで練習を見ていた後の「世界ミニマム級チャンピオン」星野敬太郎さんが、

自ら志願して合宿に参加してくれ(当時は日本ストロー級3位)、3人でよく走り込んだものです。



私は中学時代までは陸上の中長距離選手でキャプテンでしたから走りには相当な自信があり、

毎回、最後の1周は1番になろうと必死にラストスパートを仕掛けましたがデッドヒートの末に、

とうとう私は上記した2人には1度も勝てず、実は彼らも中学時代は中長距離選手だったそうです。



私も現役時代に後輩とロードワークをして負けたこなど1度もありませんでしたが、

私も上記した先輩2人には遂に1度も勝つことはなく、改めて先輩の偉大さを知りました。

闘魂らぁめんの店主は酒の席で当時のことに話しが及ぶと、次のように語ってくれました。

『いやいや、俺だって毎回必死だったよ!いつも最後になると本気で追い抜きに来るからさ、

この野郎!絶対に抜かせねェぞ!って、こっちもムキになったし先輩としての意地だったよ』と。



「先輩としての意地」これは私達選手は誰しもが抱いたことのあるプライドであり、

例え自分の後輩がプロとして自分よりも上の立場に上がろうともスパーリングでは、

『絶対に負けない』という意地で互角の勝負を繰り広げるのと同じであると言えます。

そして闘魂らぁめんの店主も、チャンピオンになった星野さんとのロードワークでは、

私と同様、1度も勝てなかったそうで、まさに「先輩としての意地」だと言えるでしょう。



現在では、この景色や海が見たくなった時に訪れ、ゆっくりと当時のコースを歩くだけですが、

この道は「あの頃、本気で夢を追いかけた若者達」が全力で駆け抜けた「栄光の道」なんだと、

改めて感慨深い想いを馳せ、強風が吹き荒れる本日、久しぶりに訪れ添付した画像を納めました。

「もう2度と戻れない日々」だからこそ人生は儚くも美しく、私達の心に刻まれて行くのでしょう。



本日もお疲れさまでした。



 END

   
2017-01-16

マグロ雲 2017







昨日の日暮れ前に散歩へ出掛けた際、夕日を浴びた巨大な雲が目に止まり、

私の真横を次々に通り過ぎて行く車の窓越しから私に向けられる不審な目には、

あえて気が付いていないフリをしながら撮影した画像が上部に添付した風景です。



タイトルにも書きました通り、私にはこの雲がマグロにしか観えません。

おそらく、空腹な状態で散歩をしていたが故の幻想であると考えられますが、

先日放送された「マグロに賭けた男達」というドキュメンタリーの影響でしょう。



100キロ超えのマグロを1本釣り上げただけで大金を手にする反面、

スランプに陥り何年も辛抱を重ねてきた漁師の心の葛藤などを視聴し、

『一攫千金に賭けるストイックさは株のトレードと同じだな』と共感でき、

私も巨大なマグロを釣り上げるが如く、日々精進を重ねて行きたいものです。



本日もお疲れさまでした。



 END

   
2017-01-12

例外は無視せよ!

勝負事には何でも「セオリー」というものが存在致します。

『この流れであれば理論上はこう動く』という様な基本的な部分であり、

現在の私であれば「株のトレード」が上記した「それ」に該当致しますが、

やはり他の勝負事と同様『セオリー通りには動かない』という展開もある訳です。



これは自分側にとって『ようやく良い流れになってきた』展開に対し、

『何があったらこんな展開に変わるんだよ?』と目を疑いたくなる様な、

突然風向きが変わってしまう「予測不能な展開」に巻き込まれてしまう場合で、

アノマリー(理論上説明できない)もあれば「相手方」が意図的に仕掛けた場合もあり、

私ならば『おかしい!』と感じた時点で、とにかく何があろうとも一旦は手仕舞う訳です。



原因を調べている間に取り返しのつかない展開に巻き込まれるのは最も避けたく、

「それら」に関してはポジションを外してからでも時間は十分に取れる訳ですから、

『セオリー通りに行かない』と感じた時は「とにかく一旦逃げること」が大切です。

後に原因が確認できればそれで納得できますし「ただの例外」であったとしても、

「流れ弾に当たる前」に危険を回避できれば再び「勝負の席」に戻れますから。



勿論「自分の情報収集不足」が原因だった場合は反省材料として記憶致しますが、

「ただの例外」だった場合には一切気にしないというメンタリティが大切だと考えます。

相撲でも「軍配差し違え」というものが存在致しますが10回の取組で1回あるかどうか?の、

「ただの例外」に対し原因を追究するのは難解なパズルを解くよりも無駄な時間だと言えます。

殆どの勝負事は「セオリー通り」に動きますから、例外は無視しセオリーに徹するのが賢明です。



この「流れが変わる瞬間」を体得するには「数多くの鍛錬と失敗」が必要不可欠ですし、

私自身トレーダーとしては未熟者ですが、プロボクシングをはじめ多くの勝負事を経験し、

『失敗と成功を繰り返しながらも諦めずに鍛錬を続けること』が大切だと理解しております。

本日は「私自身」に言い聞かせる意味も含め『勝負事の何たるか?』について触れてみました。



本日もお疲れさまでした。



 END

   
2017-01-08

消えゆく BAR







ウィスキーが大好きな私は地元近郊にお店を構えている「4軒のBAR」の常連として、

10年以上の長きに渡り通い続け、バーボンやシングルモルト等を楽しんで参りました。

その中の2軒が2015年に経営を断念したことは、その年の記事でも触れた通りですが、

残り2軒のBARのうちの1軒も『どうやらお店は閉めたらしい』との結論に至りました。



『閉めたらしい』という曖昧な表現になってしまうのは経営者から直接伺った訳ではなく、

昨年末、飲みに出掛ける際たまたま通り道だったこともありお店の前を横切ったところ、

最も集客が見込める12月の土曜日に2週連続でお店の照明が点灯していなかった訳です。

私が携帯番号を交換してあるのは、残った1軒のBARの店主と既にサラリーマンとなった、

私の友人の2名だけですから当然のことながら今回の件に関しましては知る由もありません。



昨年の2月辺りに足を運んだのを最後にBARからは遠ざかり、表へ飲みに行くとしても、

ボクシングジムの仲間達と集う「闘魂らぁめん」以外は1人で飲んでいたということです。

先日も書きましたが昨年いっぱいまでは『行動を自重したい』という思いが非常に強く、

私自身『知り合いが経営するお店には顔を出したくない』という気持ちでいた訳です。











先日の記事に『2017年からは自重を解禁致します』と書きましたが現在の私にとって、

『リターンが見込める投資以外に高額のお金は使いたくない!』というのが本音であり、

今後の人生設計や『己の城の礎を築くために今何をすべきか?』に集中している所で、

早急に導き出したい「あらゆる可能性を模索すること」以外は2の次で良いと考えます。



BARのことを書きたかった筈が内容がタイトルより逸脱してしまい申し訳ありませんが、

私が通い続けたBARが無くなることへの寂しさに加え現在の自身の心境が交錯しており、

本日の様な内容となってしまったことを「私の一身上の都合」として御容赦下さいませ。

勿論、私は既に「新たなるステージ」へ向けて歩み始めておりますからご心配なく。



また、BARに限らず経営不振が続いている客商売のお店は2016年以降も増え続けており、

原因の1つは私が以前から訴えているように「景気回復なき消費増税」であると言えます。

『そこへ行かなくとも十分に楽しめること』であれば高級嗜好であるBARなどは当然ながら、

先陣をきって敬遠されがちなお店ですから、今後もこの手の業種には暗い影を落とし兼ねず、

政府や日銀が犯してしまった「失策」に対し、どのように責任を取らせて行くのかが重要です。











本日もお疲れさまでした。



 END

   
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